M8.5で津波20メートル超予想の辺野古洋上に米軍基地だって! 何考えてるんだろう?

スマトラ級! 西日本全体を巻き込む巨大地震
http://www.newtonsanseido.com/search/image_view.php?p_n=0000000000063204&d_p=1

M8・5で東海岸津波20メートル 琉大准教授予測
沖縄タイムス - 2011年5月10日
http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-05-10_17591/

沖縄本島沖の琉球海溝震源とするマグニチュード(M)8・5の地震が発生したとの想定で、本島沿岸部に押し寄せる津波の高さ(波高)を琉球大理学部の中村衛准教授(41)=地震学=が予測した。沖縄があるユーラシアプレートに、太平洋側のフィリピン海プレートが沈み込む同海溝は、巨大地震を引き起こすひずみがたまっている恐れがあり、予測によると東海岸の広い範囲で20メートルを超える津波が発生。5階建ての建物に相当する標高15メートルの地域まで、浸水する危険があると警鐘を鳴らす。

中村准教授ら琉大研究班は2008年から、名古屋大、県水産海洋研究センターなどと合同で地震発生予測調査を実施。沖縄本島の南約100キロの琉球海溝の海底で、プレート同士がくっつき、ずれる時の反発で地震を起こす固着域を見つけた。この固着域がずれることにより「M8を超える巨大地震が発生し、沖縄本島震度6前後の揺れに見舞われる可能性がある」と指摘する。

県が07年3月に出した津波・高潮被害想定調査は、沖縄周辺の海底活断層などでM7・8の地震を想定。津波が海岸から陸地へかけ上がる高さを示す遡上高(そじょうこう)は、東海岸では、名護市内の15メートルを最高に、2〜7メートル前後と予想されている。数値が高いのはV字型湾になっていて、波が集まりやすい地形だからだ。

一方、琉球海溝でM8・5の地震が発生した場合、遡上高は「現在の県の被害予想の2〜3倍に達する」と中村准教授。沿岸部の波高は東村平良が26メートル、南城市でも20メートル以上を予測。小さな離島や沿岸部の市街地など標高15メートルの地域が浸水する危険がある高さだ。さらに、西海岸にも波が回り込み、那覇市では10メートルに達する恐れがあるという。

東日本大震災を引き起こした日本海溝付近から東北の三陸海岸までは約200キロ。対して琉球海溝から沖縄本島までの距離が約100キロと短いことから、中村准教授は津波東日本大震災の半分の20分程度で本島へ到達するとみる。「高台に避難する時間はかなり短いだろう。従来は3階建ての建物が避難の目安だが、今後は6階建て程度の建物に目星を付ける必要がある。まずは3階に避難し、さらに上の階を目指す心積もりを」と強調した。

wikipedia:東海・東南海・南海連動型地震より

南海トラフから琉球海溝まで全長1000kmにも及ぶ断層が連動して破壊されることで、非常に細長い領域におけるM9クラスの連動型地震、あるいはM9クラスの二つの超巨大地震が連動して発生する可能性も近年では指摘されている[25][26]。この場合の震源域の全長は2004年のスマトラ島沖地震に匹敵するもので、過去には平均1700年間隔で発生していたとされる。これは御前崎静岡県)、室戸岬高知県)、喜界島(鹿児島県)の3カ所の海岸に残されていた、通常の南海トラフ連動型地震による隆起予測と比べて明らかに大きな隆起地形から推定されている[29]。

wikipedia: 連動型地震より

琉球海溝の巨大地震

南海トラフ南西端から続いている歴史文献などの記録がない奄美群島沖の琉球海溝南西諸島海溝)プレート境界でも、推定M9クラスの超巨大地震が数千年に一度の割合で発生する可能性が示唆されている[13]。海底地殻変動の観測[14]によれば、測定用の海底局が沖縄本島から北西方向へ年間7cm移動していることから、推測される固着域(アスペリティ)は幅約30 - 50kmでプレート間カップリング領域が形成されていることが判明した[15]。
また、南海トラフから琉球海溝までの全長約1000kmの断層が連動して破壊されることで、震源域の全長も2004年のスマトラ島沖地震に匹敵する非常に細長い領域におけるM9クラスの連動型地震、あるいはM9クラスの二つの超巨大地震が連動して発生する可能性があるとも指摘されている[16][17][18][19][20][10]。これは、御前崎静岡県)、室戸岬高知県)、喜界島(鹿児島県)の3つの海岸にある、通常の南海トラフ地震が原因と推定されるものより大きな平均1700年間隔(直近は約1700年前)の4つの隆起からなる隆起地形が根拠となっている。

水納島の巨岩、明和の大津波と時期一致
琉球新報 - 2000年9月7日
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-112802-storytopic-86.html

多良間村水納島北側にある岩が年代測定によって、1771年に八重山宮古両諸島を襲った「明和の大津波」で陸に打ち上げられたものであることが、琉球大理学部の加藤祐三教授によって確認された。これまで陸に打ち上げられた岩の年代測定で、同津波の時期と完全に一致したのは三例あるが、水納島では初めて。加藤教授は「古文書には津波後の水納島の様子について、人家もなく石や砂が上がっていたとの記述があるが、これを証明できた」と話している。
この岩は海岸から約300メートル陸側で標高七メートルの丘の上にあり、高さは二メートル、推定重量は約30トン。昨年8月、公開講座の「地学巡検」で島を訪れた加藤教授らが岩を発見。「同島には、海岸や陸上に津波で動いたとみられる岩がいくつかあるが、津波の威力を確認するために丘の上にあるものを選んだ」と同教授。
岩は比較的新しいサンゴでできたもので、食い込んだヒメジャコを採取し年代測定。その結果、1650年-1770年ごろに陸に打ち上げられたことが分かった。
明和の大津波で打ち上げられたとみられる岩は八重山宮古両諸島に多数存在するが、年代測定で津波の時期と完全に一致したのは石垣島多良間島の計三例だけだという。加藤教授は「標高七メートルの位置にこの岩が打ち上げられたことは、それより低い5、6メートルの居住地域が波で洗われたことを意味している」と語った。
同教授は8日から長野市で開かれる第17回歴史地震研究会でこの結果を発表する。


中部琉球海溝でM8クラス地震が起こった場合の津波
http://seis.sci.u-ryukyu.ac.jp/hazard/tsunami-okinawaIs/tsunami20110512.htm
1771年八重山地震津波(明和の大津波
http://seis.sci.u-ryukyu.ac.jp/hazard/EQ/
沖縄の歴史地震
http://seis.sci.u-ryukyu.ac.jp/hazard/large-eq/history.html